名著「嫌われる勇気」を読んでから数年経ちますが、
むさぼる様に読んだあの時と同じような感覚になりました。
はっきり申しまして、わたし野球には詳しくなく*1
落合監督についても
「喜怒哀楽をあまり表に出さな”オレ流”の人」
という印象しかありませんでした( ;∀;)
ですので、中日ドラゴンズの選手についても全くと言っていいほど
知りませんでした。
ですが、この本を読んで
何度も涙が出ました。
そして、気づいたらYouTubeで本書で描かれていた試合を見ていました。
泣きながら。。。
私の好きな著者の一人
浅田すぐるさん が
「今年1番、いや、過去5年の中でもトップクラスに良かった!」
と仰っていたので、迷わずクリックして読みました。
本当に「感動」しました。
そして「嫌われる勇気」をまさにプロの世界で実践し、
マスコミに叩かれようが、何を言われようが、
「別に嫌われたっていいさ。
俺のことを何か言う奴がいたとしても、
俺はそいつのことを知らないんだ。」
そんな事を言いながら、
落合監督が落合監督で有り続けた生き様が、
とっても読みやすく、入り込みやすく書かれています。
ファンを「顧客」
コーチを「上司」
監督を「社長」
チームや球団を「組織や会社」
として捉えて読むと、一気にビジネス書、自己啓発書になります。
書かれた著者の鈴木忠平さんの文章力というか表現力の凄さにも圧巻です!!
実際に落合監督が監督として活躍していた8年間、番記者としてずっと落合監督の近くで落合監督の表情、動き、発する言葉、その言葉の奥にある思考を間近で感じてきた著者だからかけた本だと思います。
470ページほどある大作ですが、あっという間にその世界に入り、
気づいたら最終章。
本当に久しぶりに読み終わるのが辛い・・・(/ω\)
という感覚で、1ページ、1ページ、その世界観を堪能し、
落合監督という方の奥深さを知ることができました。
そして、組織の中でどう個として生きてくのか、
なぜそこまで自分を貫くのか、
その先には何が起こるのか、
本当に学びになりました。
嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか (文春e-book)
著者は1977年、千葉県生まれ。
愛知県立熱田高校から名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年経験しました。2016年に独立し、2019年までNumber編集部に所属。
現在はフリーで活動している。
著書に甲子園最多本塁打の強打者と、敗れた投手たちの人生を描いた
「清原和博への告白 甲子園13本本塁打の真実」がある。
清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実 (Sports Graphic Number Books)
以下心に残った一文です。
・時間と空間をともにすればするほど、人は人を知る。
やがてそれは既視感となり、その人を空気のごとく感じるようになるものだ。
ただ落合はそうではない。落合の印象は、今もあの朝のままだ。
・あいつらは生活かけて、人生かけて競争しているんだ。
その途中で俺が何か言ったら、邪魔をすることになる。
あいつらはあいつらで決着をつけるんだよ。
・だが、落合には今、チームにとっての穴が見えている。
誰も気づいていないその綻(ほころ)びは、
集団から離れ、孤立しなければ見抜けなかったのかもしれない。
・ところが今、この球団のベンチは触れれば切れてしまいそうなほど張りつめている。
この世界は果てしない奪い合いなのだという不文律が、これでもかというほど剥き出しになっている。
そこにシナリオはない。安全圏もない。
・誰もが落合の言葉や視線に感情を揺らし、あの立浪でさえ怒りをあらわにするなかで、福留からはまるでそれが感じられなかった。
交わることのない二つの個。
落合と福留の関係はそのように見えた。
・戦いを共にする者たちは時間とともに境界線を失くし、互いの共有物を増やしていく。それがチームであり、信頼や絆というものではないか。ひいてはそれが強さになっていくのではないか。
ところが落合は年々、選手やコーチとの境界線を鮮明にしていった。
勝てば勝つほど繋がりを断ち、信用するものを減らしているように見えた。
・「お前がテストで答案用紙に答えを書くだろう?
もし、それが間違っていたとしても、正解だと思うから書くんだろう?
それと同じだ!
そんな話、聞きたくない!」
・「監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員が乗っている船を目指す港に到着させなけりゃならないんだ。
誰か一人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。」
・落合は空っぽだった。
繋がりも信頼も、あらゆるものを断ち切って、ようやくつかんだ日本一だというのに、ほとんど何も手にしていないように見えた。
頭を丸め、肉を削ぎ落した痩せぎすのシルエットが薄暗い駐車場に浮かんでいた。
闇の中にひとり去っていく落合は、果てたように空虚で、パサパサに乾いていて、
そして、美しかった。
・落合は常識を疑うことによって、ひとつひとつ理(ことわり)を手に入れてきた。
そのためには全体にとらわれず、個であり続けなければならなかったのだ。
・プロ野球といえど、多くの者はチームのために、仲間のためにという大義を抱いて戦っている。ときにはそれに寄りかかる。打てなかった夜は、集団のために戦ったのだという大義が逃げ場をつくってくれる。
ところが、落合の求めるプロフェッショナリズムには、そうした寄る辺がまるでなかった。
・「よくファンのために野球をやるっていう選手がいるだろう?
あれは建前だ。
自分がクビになりそうだったら、そんなこと言えるか?
みんな突き詰めれば自分のために、家族のために野球をやってるんだ。
そうやって必死になって戦って勝つ姿を、お客さんは視て喜ぶんだ。
俺は建前を言わない。
建前を言うのは政治家に任せておけばいいんだ。」
・昔やっていなかった人ほど、指導者になったらそういうことを言ってる。
・球団と契約したプロ選手を縛るものは契約書のみであるはずだ。
契約を全うするためにどんな手段を選ぶかは個人の責任であるはずだ。
・「心は技術で補える。心が弱いのは、技術が足りないからだ」
落合が求めたのは日によって浮き沈みする感情的なプレーではなく、闘志や気迫という曖昧なものでもなく、いつどんな状況でも揺るがない技術だった。
心を理由に、その追及から逃げることを許さなかった。
・監督が誰であろうと何も変わらない。
それぞれの仕事をするだけだ。
・落合は、どんな状況でも自分のためにプレーすることを選手たちに求めてきた。
・「だからお前は、監督から嫌われても、使わざるを得ないような選手になれよ」
・理解されず認められないことも、怖れられ嫌われることも、落合は生きる力にするのだ。
・・・
いつしか選手たちも孤立することや嫌われることを動力に変えるようになっていた。
・「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。
自分のために野球をやれって、そう言ったんだ。勝敗の責任は俺が取る。
お前らは自分の仕事の責任を取れってな。」
それは落合がこの球団に来てから、少しずつ浸透させていったものだった。
・やはり落合は変わっていなかった。この八年間で変わったのは周りの人間たちだった。
・私は落合という人間を追っているうちに、列に並ぶことをやめていた。
・俺が本当に評価されるのは・・・俺が死んでからなんだろうな。
心に残った一文を読み返すと、その前後の落合監督の様子が思い出されて
また涙が出そうになります。
プロ野球という世界と、企業で働く職業人では住む世界は違うと思いますが、
人として、生きて行く上で必要なこと、心に置きたいもの、目指すべきこと、負う事、そして追う者、きっと繋がっている部分がたくさんあるんだと思いました。
だからこんなに野球知らずのわたしも没頭してしまった。
そう思います。
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*1:+_+